──北アルプスの麓で、スポーツメンタルコーチとして生きるということ
競技の世界で上を目指す人がいる。
僕は、その背後からそっと支える存在でありたい。
プロのアスリート、実業団の選手、そして「プロになりたい」という志を持った若者たち。
いまこの瞬間を懸命に生きている彼らの、心の内に寄り添う仕事。
僕はスポーツメンタルコーチとして、そういった選手たちの「陰」にいる。
北アルプスの麓に拠点を構え、自然とともに暮らしながら、日々この仕事に向き合っている。
派手さはないけれど、静かに燃え続けている仕事だ。
サッカーが、嫌いになった日
この道に入ったきっかけは、挫折だった。
大学生の頃。
プロを目指して続けてきたサッカーを、ある日突然、辞めた。
燃え尽きていた。
サッカーが、心から嫌いになってしまった。
目標を失ったあとは、何をしていいか分からなかった。
周囲の期待に応えるように、公務員になり、消防士として働いた。
けれど、心のどこかでずっと違和感を抱えていた。
手段が固定された世界。
試行錯誤や創意工夫よりも、手順通りに動くことが正解とされる毎日。
プロを目指して試行錯誤していた頃の自分とは、あまりにも違っていた。
自分を偽るように働き続けた3年。
でも、やっぱり嘘はつけなかった。
スポーツに、もう一度出会い直す
あるとき、高校の先輩が日本代表としてプレーしている試合を目にした。
何かが呼び覚まされるように、胸が熱くなった。
「やっぱり、自分はスポーツが好きなんだ」
でも、ただ現場に戻ればいいわけじゃないと思った。
自分がなぜ燃え尽きてしまったのか。
なぜサッカーが嫌いになったのか。
なぜプロになれなかったのか。
それを見つめずにアスリートをサポートしても、本質的な支えにはなれない。
同じように悩む選手が目の前に現れたとき、ただ「分かるよ」と共感するだけで終わってしまう。
どう乗り越えるかを示せない支援は、かえって無責任だと思った。
だからまず、学ぶことにした。
メンタルのこと。
身体のこと。
そして、「人がどう在るか」という問いを。
キャリアは、偶然から始まった
学んだことを、少しずつ実践に落とし込む中で、
たまたま一人のサッカー選手から声がかかった。
メンタルのサポートを任され、その後、その選手が関わるクラブに誘われた。
Jリーグを目指す本気のチームだった。
そこで、スポーツメンタルコーチとしてのキャリアが始まった。
年間で関わった選手は200人を超えた。
けれど、あるときふと立ち止まった。
「僕は、目の前の一人とちゃんと向き合えているだろうか」
原点は、大学時代の自分。
あの頃の自分にとって必要だった人。
それこそが、自分の役割だと感じた。
だからチームを離れ、個人で活動を始めた。
たくさんの選手を一度に見るよりも、目の前のひとりと深く関わることを選んだ。
陰の存在として、選手の人生を支える
北アルプスの麓に住んでいるのも、偶然ではない。
自然の中で暮らすことは、僕にとって「整える」ことだ。
メンタルを扱う仕事は、目に見えない変化を扱う仕事でもある。
だからこそ、自分自身の感性や感覚が澄みわたっていなければならない。
小さな変化に気づく。
言葉にならない思いに触れる。
それは、頭で考えるだけではできない。
自然のそばにいることで、五感が研ぎ澄まされていく。
その状態で、選手と向き合いたいと思っている。
セカンドキャリアという“問い”にも
アスリートが競技を終えたあと、「これから何をしていいか分からない」という言葉をよく聞く。
僕も、かつてそうだった。
サッカーを辞めたとき、人生が真っ白になった。
自分が何に心を動かされるのかすら、分からなかった。
だからこそ、これからは「競技のその先」にも関わっていきたいと思っている。
競技者である前に、一人の人間として、どう生きるのか。
そんな問いを一緒に見つめられるような、場や関係性をつくっていきたい。
いつか選手が訪れ、心と身体を整えられるような場所をつくりたい。
自然を通じて、競技にも人生にもつながるような体験ができる場所。
それは宿やカフェかもしれないし、コミュニティかもしれない。
でも、根底にあるのは「寄り添いたい」という想いだ。
選手が光を目指すなら、僕はその陰でいい。
でもその陰は、ただの影ではなく、
彼らの輪郭を包み込むような、静かで温かな存在でありたいと思っている。