燃え尽きた、心がついてこない、そんな状況にいるアスリートへ

大学4年生の春、私は心の底から「もうサッカーをしたくない」と思った。
ボールにも触れたくなかったし、グラウンドに行くことすら苦しかった。

小学校1年生から、ずっとプロサッカー選手を目指して生きてきた。
夢はひとつだけ。「Jリーガーになる」。
そのために、どんなことも我慢できたし、どんな練習もやり抜けた。
サッカーがすべてで、サッカーのために生きていた。

けれど、大学4年生のある日、突然そのエネルギーが途切れた。
身体は動くのに、心がまったくついてこない。
ボールを蹴っても、何も感じない。
ただ、空っぽの自分がそこに立っていた。


坂道が登れなくなった

毎朝、グラウンドへ向かう道に、少し急な坂があった。
1年生の頃は、どんなに眠くても、その坂を駆け上がるのが日課だった。
でも、4年生になった頃、その坂を登るのが異常に苦しく感じた。

足が重い。
息が詰まる。
何より、「また今日も行かないといけないのか」と思う自分がいた。

イヤホンから流れる音楽を聴いても、何も響かない。
いつも心を奮い立たせてくれていた歌詞も、ただの言葉にしか聞こえなかった。

それでも、周りには悟られたくなかった。
キャプテンだったから。
チームを引っ張る立場だったから。
「プロを目指している人間」として、周囲が抱くイメージを壊したくなかった。

だから、誰よりも早くグラウンドに行き、
全体練習の前にウェイトをして、
練習が終わっても、最後まで残ってボールを蹴り続けた。
「誰よりも努力している自分」でいようと必死だった。

けれど、本当はもう限界だった。
魂が抜け落ちたように、何も感じずにプレーしていた。
心は、ずっと泣いていた。


「もう無理だ」と言えなかった自分

大学サッカーの世界は、覚悟を持った選手ばかりだ。
プロを目指している。
みんな死ぬ気で練習している。

だからこそ、「もう無理だ」なんて言える空気じゃない。
チームメイトに弱音を吐くこともできない。
監督やコーチに本音を話す勇気もない。
家族にも言えない。

誰も悪くない。
でも、誰にも言えない。
その沈黙の中で、どんどん自分が壊れていった。


本気でやってきた人ほど、燃え尽きる

今振り返ると、あのときの私は「燃え尽き症候群」だったと思う。
でも、それは“弱さ”じゃない。
むしろ、本気でやってきた人ほど、燃え尽きる

誰よりも高く目指して、誰よりも努力してきた。
その分だけ、自分を追い込み、自分を縛ってしまう。
「やらなきゃいけない」「期待に応えなきゃ」
そんな義務感が、いつの間にか心の自由を奪っていく。

気づけば、努力が「自分を守るための鎧」になっていた。
頑張ることでしか、自分の存在を証明できなくなっていた。

でも、どんなに頑張っても心が動かない時期がある。
それを「怠けてる」「メンタルが弱い」と責めてしまうから、余計に苦しくなる。
本当は、身体も心も、もうずっと前から「少し休ませて」と叫んでいたのに。


あの時、ただ話を聞いてくれる人がいてくれたら

もし、あのとき自分の気持ちを素直に話せる人がそばにいたら。
もう少し早く、立ち止まることができたかもしれない。

「頑張れ」でも「こうすべき」でもなく、
ただ話を聞いてくれる人。
評価もアドバイスもいらない。
沈黙しても、涙が出ても、そばにいてくれるだけでいい。

当時の自分には、そんな存在が必要だった。
あの坂道を登れなくなった自分を責めるんじゃなくて、
ただ隣で寄り添ってくれる誰かがほしかった。


だから私は、今この仕事をしている

今、スポーツメンタルコーチとして活動しているのは、
あの頃の自分のように、
苦しさを抱えながら競技を続けている人たちに出会いたいからだ。

燃え尽きた経験は、他人事じゃない。
心の底からその世界を想像できると思える。

競技を続けることだけが、正解じゃない。
でも、辞めることもまた簡単じゃない。
だからこそ、「間(あいだ)」の時間を一緒に過ごせる存在でありたい。

どんなに強く見えるアスリートでも、
誰にも見せない心の揺れがある。
それを話してもいい場所。
何も言葉にできなくても受け止めてもらえる場所。
そんな“安心安全な場”をつくりたい。


完璧でなくていい。強くなくてもいい。

アスリートは、いつも「強さ」を求められる。
結果で評価され、常に比較される。
でも、本当の強さって何だろう?

今の私はこう思う。
本当の強さとは、弱さを認めること。

泣いてもいい。
迷ってもいい。
立ち止まってもいい。

それは“終わり”じゃなくて、“再生”の始まりだ。
その瞬間にしか見えない景色がある。
誰かの目には止まらなくても、
心の奥で確かに光っている小さな灯がある。


孤独の中にいるあなたへ

もし今、あなたが
「もう競技をやりたくない」
「何のために頑張っているのかわからない」
そんな気持ちを抱えているなら、
それはあなたが“弱い”からじゃない。

本気で向き合ってきたからこそ、心が悲鳴を上げているだけ。

大切なのは、そこに気づくこと。
その痛みに名前をつけること。

「自分は今、疲れてるんだ」
「もう少し、自分を休ませたいんだ」

それだけでいい。
そこからすべてが始まる。


あの坂道を、今は笑って登れる

あの頃、登れなかった坂道を、今はゆっくり登れる。
息を切らしながらでも、空を見上げる余裕がある。
苦しかった記憶が、少しずつ優しさに変わっていく。

あのときの自分を、今では愛おしく思える。
何も感じなかった自分も、ちゃんと自分だった。
あの沈黙の時間があったから、今の自分がいる。

そして今は、あの坂道の途中で立ち止まっている誰かに声をかけたい。

「そのままで大丈夫。
 焦らなくていい。
 あなたのペースで登っていけばいい。」


一緒に歩いていけたら

私は導く人ではない。
答えを持っているわけでもない。

でも、一緒に歩くことはできる。
あなたが言葉を探している間も、
沈黙の中にいる間も、
ちゃんと隣でその時間を見守っていたい。

もし今、何かが噛み合わないと感じているなら、
一度、話しを聴かせてほしい。

競技のことでも、人生のことでもいい。
話していくうちに、少しずつ心が整っていく。
そしてきっと、自分の中にある小さな光に気づく瞬間がある。

それが、次の一歩の合図になる。

スポーツメンタルコーチ加藤優輝
Deportare Design代表
Deportare Design代表。6歳から22歳までプロサッカー選手を目指していたが、燃え尽き症候群により競技を嫌いになり、プロになれずに現役引退。 その後、人命に関わる仕事に魅力を感じ、消防士になる。 消防士として社会貢献していく中で、夢や目標に向かっている人をサポートしたいという思いが沸き起こり消防を退職。 退職後、自分自身が燃え尽き症候群になってしまった原因を解明すべく、脳と心の仕組み・スポーツ科学、EQなどについて学ぶ。 その後、サッカー元日本代表でもあるカレンロバートの専属サポート。現在は、プロ野球選手(NPB)やプロサッカー選手(Jリーグ)、プロゴルファー(JLPGA)、プロサーファー(WSL)、実業団選手(日本代表)を始めとする、トップアスリートから本気でプロを目指すアスリートを中心にサポートをしている。

私がスポーツメンタルコーチになった理由

私はプロサッカー選手になるはずだった。小学校のころから夢はサッカー選手。中学生になっても高校生になっても大学生になっても、夢は変わらずサッカー選手。そんな私は、身長170㎝でゴールキーパーをしていた…>>続きはこちらから

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