スポーツの世界において、選手は常に「結果」と「成長」のはざまで揺れている。勝つか負けるかという明確な結果の世界に生きる一方で、日々の努力を通じた自己の成長を求めている。この二つの価値はしばしば対立するものとして語られる。すなわち、「結果を追えば成長を犠牲にするのではないか」「成長を大切にすれば結果を軽んじることになるのではないか」という二元論的な捉え方である。
しかし、この二元論にとらわれ続けることは、選手にとって大きな制約となる。なぜなら、結果と成長は本来どちらかを排除するものではなく、より高次の次元で統合されうるからである。その統合の可能性を理解するために、ここではドイツの哲学者ヘーゲルが提唱した「弁証法」を手がかりに考えてみたい。
ヘーゲルの弁証法 ― テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ
ヘーゲルの弁証法は、歴史や精神の発展を説明するために提示された考え方である。弁証法は大きく三つの段階で構成される。
- テーゼ(Thesis):ある主張、立場、命題が提示される。
- アンチテーゼ(Antithesis):それに対立する主張や否定が現れる。
- ジンテーゼ(Synthesis):テーゼとアンチテーゼの対立を止揚し、より高いレベルで統合された新しい立場が生まれる。
重要なのは、テーゼとアンチテーゼが「どちらが正しいか」を決めるのではなく、その緊張関係そのものが次の段階を生み出すという点である。つまり、矛盾や対立は克服すべき障害ではなく、発展をもたらす力であるという理解である。
結果と成長の二元論を超える視点
この弁証法をスポーツに置き換えるとどうなるだろうか。
- 結果を追い求める姿勢は、まさにテーゼである。勝利や記録の更新は選手にとって強い動機となり、競技の本質を支える。
- それに対して「結果だけではなく、自分自身の成長こそ大切だ」とする考え方はアンチテーゼである。結果を一時的に手放してでも、長期的な自己の向上を選ぶ態度である。
多くの選手はこの二つを「どちらを選ぶか」という二元論として考えてしまう。しかし、弁証法的な視点を取るならば、ここで立ち止まって問い直す必要がある。結果と成長は本当に相容れないものなのか、と。
ヘーゲル的な意味でのジンテーゼは、この対立の先に現れる。すなわち、「結果と成長を同時に成立させるための、新しいメンタリティ」である。
結果に相応しいメンタリティという視点
では、結果と成長を統合するジンテーゼとは具体的に何か。それを「結果に相応しいメンタリティ」と呼ぶことができる。
ここでいう「相応しい」とは、単に勝利に必要な強さを指すのではない。結果を追うあまりに心が固くなり、失敗を恐れて動きが鈍くなるのでは本末転倒である。また、成長にこだわりすぎて「今日は負けてもいい」と自ら勝負から退いてしまうのも違う。
結果に相応しいメンタリティとは、結果を求める強さと、成長を受け入れる柔らかさを同時に持つ心である。勝利を目指すことを否定せず、同時にその過程で自分が変化していくことを喜びとして感じ取れる心のあり方である。
二元論にとどまる危うさ
多くの選手は「勝てなければ意味がない」と自分を追い込みがちである。これは結果至上主義の極端な姿であり、失敗を恐れるあまり挑戦が小さくなる。そこでは一時的に勝てても、長期的には伸び悩むことが多い。
一方で、「結果はどうでもいい、成長だけが大事だ」という姿勢に傾きすぎると、現実の競技世界から距離が生まれる。試合において真剣勝負を避けるようになり、勝敗の重みを引き受ける覚悟を失ってしまう。
つまり、どちらか一方に偏ると、選手としての道は狭まり、自らの可能性を閉ざしてしまうのだ。
統合の実感 ― 日々の積み重ねから
では、結果に相応しいメンタリティはどのように培われるのか。それは特別な瞬間に生まれるのではなく、日々の練習の積み重ねから育っていく。
練習で小さな成功を実感すること。それが自信となり、試合で結果を生みやすくする。同時に、その小さな成功を自分の成長として喜べること。それがまた次の挑戦を支える。
つまり、練習の中で「結果と成長の両方を受け取る」経験を繰り返すことが、統合的なメンタリティを形づくっていくのである。
競技者としての生 ― 矛盾を抱えたまま進む
スポーツの道を歩むとは、矛盾を抱えたまま進むことである。勝ちたいと願いながら、勝てないことを受け入れなければならない。成長を求めながら、時に足踏みする自分を受け入れなければならない。
しかし、ヘーゲルの弁証法が示すのは、この矛盾や対立こそが新しい段階への扉であるということだ。矛盾を矛盾のままに抱え、そこから一歩進んだときに、人はより広い視野と深い強さを手にする。
結果と成長を「どちらか」と選ぶのではなく、「どちらも」と引き受ける勇気。それが競技者を次の段階へと押し上げるのである。
結果と成長を超えて
最後に強調しておきたいのは、結果と成長は対立関係ではなく、統合されうる関係であるという点である。
- 結果を追うことは、競技者としての責務であり、誇りである。
- 成長を求めることは、人としての歩みを豊かにする力である。
- その両方を同時に実現するために必要なのが、「結果に相応しいメンタリティ」である。
この視点を持つとき、勝敗の一つひとつに振り回されることなく、日々の練習や試合が確かな意味を持つようになる。選手は二元論に縛られず、より自由に、よりしなやかに競技と向き合うことができる。
そしてその積み重ねの先に、気づけば結果も、成長も、共に手にしている自分に出会うはずである。
終わりに
スポーツは厳しい世界である。しかし、その厳しさを通じて人は矛盾を抱え、成長していく。結果か成長かという問いに答えを出そうと焦るのではなく、その問い自体を超えていくこと。そこに、競技者として、人としての成熟がある。
結果を求め、成長を喜び、その両方を統合する心を育てること。
それこそが、スポーツを生きる者に相応しい道である。