はじめに
スポーツをしていると、どうしようもなく心が重くなる瞬間に出会うことがある。
「どうして結果が出ないんだろう」
「自分には才能がないのかもしれない」
「頑張っているのに報われない」
そんな思いに押し潰されそうになった経験は、きっとあなたにもあるのではないだろうか。
私は今、スポーツメンタルコーチとして多くの選手と関わっているが、実は現役時代の私も同じように苦悩や葛藤を抱えていた。
あの頃は本当に出口が見えず、ただ苦しく、ただ自分を責めていた。
しかし不思議なことに、あの時の苦しみは今になって全く違う意味を持つようになっている。
選手の悩みに耳を傾けるとき、かつての自分の経験が、思いがけない形で息を吹き返すのだ。
苦悩は消えない。けれど、意味は変わる。
ある選手が、心の奥にある不安を打ち明けてくれた。
「結果を出さなきゃいけないのに、自分が信じられなくなるんです」
その言葉を聞いた瞬間、私は過去の自分を思い出した。
結果に追われ、自分を信じられなくなり、足元が崩れていくような感覚。胸を締めつけられる孤独と無力感。
しかし今の私は、その記憶を「苦悩」としてではなく、「寄り添うための言葉」として受け取ることができる。
相手の世界で想像し、言葉を選べるのは私自身がかつて同じ道を歩んだからだ。
過去にはただ苦しかった経験が、今は選手とつながるための架け橋に変わっている。
苦悩や葛藤は、その瞬間には耐えがたいものかもしれない。けれど、後になって意味を変える。
選手がいるから、私の過去は生きている
本来なら、選手にはできるだけ苦しまないでほしいと心から思う。
しかし現実には、誰もが必ず悩みや葛藤を抱える。
矛盾しているかもしれないが、私はその苦悩のおかげで自分の過去の経験に価値を見いだしている。
もし選手が苦しんでいなければ、私は自分の歩んだ道に意味を与えられなかっただろう。
選手の苦悩があるから、私の経験は生きる。
選手の葛藤があるから、私はスポーツメンタルコーチとしてここに立っていられる。
そう考えると、私は選手に感謝せずにはいられない。
苦悩は人と人をつなぐ橋
スポーツの世界は厳しい。勝負の世界である以上、結果で評価されるのは避けられない。
だからこそ、多くの選手は弱さを見せられず、本当の自分ではないような立ち振る舞いをしてしまう。
けれど私は知っている。
強さとは、弱さを持たないことではない。
弱さを抱えながら、それでも前に進むことこそ、本当の強さだ。
苦悩や葛藤は、人を孤独にするものではなく、人と人をつなぐ橋になり得る。
あなたが感じているその重さは、同じように歩んできた誰かとつながるための扉でもあるのだ。
哲学としての「苦悩」
哲学者カール・ヤスパースは「限界状況」という言葉を残している。
人が避けられずに直面する「死」「苦悩」「罪」「偶然」。そのような極限に追い込まれたとき、人ははじめて本当の自分と向き合う、と。
スポーツにおける怪我、敗北、スランプ、チームとの摩擦も、まさに「限界状況」だろう。
その瞬間にこそ、人は何を大切にし、どう生きたいのかを問われる。
苦悩は避けたいものではある。だが、そこからしか見えない景色がある。
私は、選手がその問いに出会う瞬間に寄り添いたいと思っている。
スポーツメンタルコーチである前に、一人の人間として
私は「こうすればうまくいく」といった正解を教える存在ではない。
むしろ、あなた自身の問いに寄り添い、その問いを受け入れる勇気を支えることこそが、私の役割だと思っている。
だからこそ、私は自分の弱さも隠さない。燃え尽き、挫折し、立ち直れなかった日々があったことを正直に話す。
それは弱さの告白ではなく、あなたと同じ場所に立つための「橋」だからだ。
おわりに
私はこれからも、一人でも多くの選手の苦悩や葛藤に寄り添っていきたい。
それは「救うため」ではなく、「ともに歩むため」だ。
あなたがいるから、私の過去は意味を持つ。
あなたがいるから、私はスポーツメンタルコーチとして生きられる。
あなたがいるから、私は自分の人生を肯定できる。
だからこそ、私を必要としてくれる選手たちを想うほど、感謝の気持ちが溢れてくる。
選手が抱く苦悩や葛藤が、意味を変えるその瞬間を共に歩みたいと思う。