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プロサッカー選手になるはずが、燃え尽き症候群になって現役引退

私はプロサッカー選手になるはずだった。

小学校のころから夢はサッカー選手。

中学生になっても高校生になっても大学生になっても、夢は変わらずサッカー選手。

そんな私は、身長170㎝でゴールキーパーをしていた。

Jリーグに所属したゴールキーパーの平均身長が184.2㎝(2022年データ)だから、誰がどうみても身長が低いゴールキーパーだ。

だけど私は、この身長でもサッカー選手になることを疑うことなんてなかった。

でも現実はそう甘くなかった。

夢だったプロにはなれなかった。

大学4年生のときには燃え尽き症候群を経験して、あれだけ好きだったサッカーを嫌いになってやめた。

1年間の猛勉強をして消防士になれたが、職場の雰囲気があわず、精神的に疲れてしまい退職もした。

当時はそんな自分を何ひとつとして成し遂げられない惨めで残念なやつだと思っていた。

だけど私は、今の自分の人生がとても幸せだと思ってる。

それは、5年前にスポーツの世界に戻ってくることができたからだ。

これは、私が燃え尽き症候群になってサッカーをやめるところからスポーツメンタルコーチとして活動していくまでの話。

いま夢を追いかけるのをやめようとしていたり、競技や仕事、部活で苦しんでいる人の力に少しでもなれたら、とてもうれしいです。

目次

大学サッカー

私は高校サッカー強豪校である浦和東高校で3年間サッカーをしてきた。

卒業生には川島永嗣さんを筆頭に多くのプロサッカー選手が誕生している。

しかし、高校での3年間ではプロにはなれず、大学サッカーを経由してプロサッカー選手を目指すことにした。

というのも、高校時代はスタメンで試合に出ることがなく引退を迎えてしまったから。

チームとしては全国大会に出場することができたが、試合に出ていなければアピールすることもできない。

つまり高校を卒業してプロになることは厳しいという状況だった。

だからこそ、私の中では大学に進学して、そこでプロサッカー選手になるというイメージを持っていた。

進学先は、駿河台大学。

スポーツ推薦で入学できるということ、トレーニング環境の充実、Jリーグチームで指導実績のある人が監督になるという話を聞き進学を決意。

大学に進学してからは1年生から試合に出ることができて、たくさんの経験を積むことができたし、毎日成長を感じられる日々を過ごすことができていた。

本気で夢を応援してくれる指導者にも恵まれ、プロを目指すための環境は整っていたし、あとは自分次第という感じだった。

海外サッカートライアウトへの挑戦、そして挫折

大学3年生の頃から、卒業後の進路について考えるようになってきた。だけどプロになれるような話はないという状況だった。

そんなとき海外サッカーのトライアウトがあるという話を聞き、挑戦することにした。

トライアウトを終えた時に、スカウトの人にある言葉をもらった。

それが、「もし君がプロで通用する能力があっても、君と同じ能力で君より身長が15㎝高い選手をとる」つまり、170㎝という身長ではどれだけ能力があってもダメだということ。

その言葉は、これから身長が伸びない限りどう頑張ってもプロにはなれないという意味だと解釈した。

その後チームに戻ると、監督からJクラブの練習に参加できるかもしれないという話をもらった。

このわずかな希望が心の支えになった。

だけど、結局のところ、Jクラブの練習にも参加できなかった。

自分がこれまで積み重ねてきたものを表現することのできない現実がもどかしかった。

「変えられないことに悩むよりも、変えられることに悩む」この言葉が私にとっての信念だった。

だけど身長という変えられないことが理由でプロになれないという現実を突きつけられ、心は折れる一歩手前だった。

次第に「もしかしたらプロになれたいんじゃないか、プロになれなかったらどうしよう」そんな不安を感じるようになっていた。

そして、その不安を感じないようにするために、今まで以上にトレーニング量を増やした。

ボールを蹴りたくない、グラウンドに行きたくない

このときも卒業後の進路は決まらず、可能性があるのは、地域リーグのチームのみだった。

JFLの1つ下のカテゴリーになるので、J1から数えると上から5番目のリーグだ。

実はこの頃からボールを蹴りたくない、グラウンドにも行きたくないと感じるようになっていた。

自分でもまさかこうなるとは思っていなかった。

だけどそれ以上に「もしかしたらプロになれないんじゃないか、プロになれなかったらどうしよう」という不安を感じることが嫌だった。

その不安を感じないための解決策が練習をすることだった。

だから誰よりも練習をするし、トレーニングもした。周りの人からの視線も苦しかった。

周りの人は自分がプロになりたいのを知っているから、プロを目指してる人として接してくる。

プロを目指しているからあそこまでやってるんだという周りからの視線がより一層、もっとやらないといけないという気持ちにさせた。

心のどこかでは、誰よりもトレーニングをすれば、この状況を打開できるはずだと思ってたのかもしれない。

だけど気づけば、そこに競技を楽しむという気持ちは1㎜も残っていなかった。

成長したいという気持ちも失っていた。

当時の自分は不安をなくすための日々を生きていただけだった。

22歳で選手を引退、サッカーが嫌いになる

大学4年のある日、ぎりぎりのところでつなぎ止めていた気持ちがプチっと切れる音がした。

もうサッカーをやめることにした。

この決断に迷はなかった。

苦しい毎日から逃れたい。

ただそれだけだった。

あれだけ好きだったはずのサッカーは自分の中にもう存在してなかった。

むしろサッカーを嫌いになっていた。

だからこそ、サッカーが近くにある生活を考えたくない。

ボールもグラウンドも見たくない。

そんな気持ちだった。

そしてサッカーから逃げるように競技を引退した。

これまでプロになるために自分のすべてをかけてきたのに、こんな形で終わりを迎えてしまうんだと、心の中がからっぽになった。

「なんで、こんなことになっちゃったんだろう」と思う自分もいた。

消防士になるという目標が心の支え

そんな自分に一緒に消防士を目指さないかと声をかけてくれた親友がいた。

その誘いがあったからこそ、プロを諦めた事実と向き合わないですんだ。

消防士になるために勉強を始めた。

本来だったらいくつかの自治体の採用試験を受けられるのだけど、大学をやめた自分は、大卒程度の試験区分がある2つの自治体しか受けられなかった。

だからこそ、何がなんでも合格できるように勉強だけに全てを注ぎ込んだ。

そのとき立てた目標は最短1年で合格することだった。

勉強なんてまったくしてこなかったし、人と同じことをしていてはだめだと思っていた。

だから、人の倍以上勉強に時間を充てた。

勉強に打ち込んでいる期間は、不思議とサッカーのことを思い出すことなく気持ちが楽だった。

そして、あっという間に1年後の採用試験を迎え、無事に大卒程度の試験区分で合格することができた。

人生で初めて、努力が報われた気がした。

念願の消防士になったはずなのに… そして、退職

念願の消防士になることができ、この仕事をずっと続けていくものだと思っていた。

サッカー選手になれなかった分、消防の世界で一流になりたいと思っていた。

だけど実際に働いてみると、プロを目指していたとき以上に熱くなれない自分がいた。

消防士として働く自分はまったくの別人みたいだった。

自分の将来が想像できてしまったり、人の顔色を伺いながら働く自分の姿、言われたことをこなすだけの毎日。

そんな自分の人生に納得できなかったんだと思う。

そんな毎日が嫌で精神的にも疲れてしまい、3年で退職してしまった。

夢や目標に向かって頑張る人を支えたい

消防士になってから、サッカーや他のスポーツとは無縁な日々を送っていた。

やっぱり心のどこかでプロを諦めた自分を受け入れきれなかったんだと思う。

それにテレビの向こう側で活躍する、同年代の選手たちを観てると、今の自分が情けなくなってしまってた。

今の自分は、自分の人生を生きてないなって。

そんなある日、たまたまW杯をテレビで観戦していた。

そこには高校の先輩の、川島永嗣さんが試合に出ていた。

先輩の活躍にどんどん心が熱くなって、気づけば、食いつくように試合を観ていた。

「この気持ちは何年ぶりだろう」そんな気持ちを感じていた。

「やっぱりスポーツが好きなんだ」と自然と思えた。

何より、スポーツを通して心が熱くなる感覚をまだ忘れてなかったことが嬉しかった。

そして、この瞬間で決めた。

「次は選手を支える立場でスポーツ界に戻ろう」

なぜなら、ここまで自分以外の選手に対して熱くなれる自分と出会うことができたからだ。

どうしてプロになれなかったのか

スポーツ界に戻ることを決めたとき、一番最初に思い浮かんだのが、サッカーの指導者になることだった。

サッカー関係の知り合いもいたし、指導者として戻ることは簡単だと思っていた。

だけどそれと同時に、今の自分がサッカー界に戻って何ができるんだろうという気持ちも感じていた。

自分は燃え尽き症候群になって夢を諦めた人間だし、そんな人間が指導者になったら、自分と同じような選手が増えてしまうかもしれないと思った。

夢を叶えたい選手の気持ちは誰よりも共感できる。

だけど、何か困難があったときに、乗り越え方を伝えられない。

そんな指導者になる気がした。

だからまずは、どうして自分がプロになれなかったのかを解明することにした。

そうか、だからプロになれなかったんだ

そのとき、自分の中で新たな問いが生まれた。

「本当にこの身長でプロになれなかったのか?」という問いだ。

確かにあのとき、170㎝だとプロになれないと言われた。

だけどどう言ったのは、その人だけ。

そのとき自分の中である答えが出た。

「プロになれないと決めてたのは自分だったんだ」

本当はもっとやれることがあったはずだし、その可能性に目を向けることすらできてなかった。

大学卒業したら、プロ契約しないとダメだと勝手に決めつけていたのも自分。

だけど本当にそうだろうか?

他にもプロになる方法はたくさんあったはずだ。

ならどうして、その可能性に気づくことができなかったのか。

その中である答えに辿り着いた。

その答えが、プロになるために改善すべき根本的な問題に目を向けられなかったということだ。

あの頃の自分は、不安を感じないための練習をしていたし、トレーニングの量を増やせば、いつかこの不安がなくなると思っていた。

そんなことをしてれば、身も心も壊れてしまう。

感情コントロールができないメンタルと、質ではなく量を増やすだけのトレーニングではプロにはなれない。

だから、メンタルとフィジカルについて専門的にしっかり学びたいと思った。

カレンロバート選手との出会い、スポーツが仕事になった

あれから、メンタルとフィジカルについて専門的に学べる環境を整え、無我夢中で学んでいた。

学んだことをアウトプットできる環境もほしくて、SNSで学んだことを発信したり、知り合いにセッションしたりなどもしていた。

あるとき、サッカー元日本代表でJリーグ新人王のカレンロバート選手から連絡をもらった。

内容としては、海外に挑戦するためにサポートしてほしいとのこと。

この瞬間、選手を支える立場でスポーツ界に戻るということが現実になった。

実はカレンローバート選手がチームのオーナーをしていたことで、同時にサッカーも仕事になった。

そのチームが、房総ローヴァーズ木更津FCというJリーグ加盟を目指しているチームだ。

そのチームで、スポーツメンタルコーチ・フィジカルコーチ・GKコーチとして就任することが決まった。

しっかりと成長した形で、スポーツ界に戻れたことが何よりも嬉しかった。

スポーツメンタルコーチとして独立

カレンロバート選手のサポート、チームでは、主にトップチーム、ユース、Jr.ユースの3カテゴリーを見させてもらった。

何よりスポーツに関わるようになって、本当に充実した日々を送っていた。

トップアスリートをサポートするような経験や、チームとして勝利を目指していく経験、育成年代を成長させていく経験。

どれも自分にとっては、贅沢すぎるほどいい経験だった。

そして、この経験があったからこそ、今後どのようにスポーツに関わっていきたいのかが明確になった。

それが、スポーツメンタルコーチとしてアスリート個人のサポートをすることだった。

なぜなら、アスリート個人とマンツーマンで歩んでいくことが、選手の気持ちに寄り添う時間を一番つくれると思うからだ。

また、自分が夢を諦めた根本的な原因はメンタルだったこともあって、スポーツメンタルコーチ一本だけでやっていこうと思った。

もちろん、チームサポートにもたくさんの良さがあるし、それを感じることもできた。

だからこそ、いつかチームに関わってみたいという気持ちが出てきたらチャレンジしてみようかなと、今は思ってる。

あの頃の自分と同じような人を減らしたい

皆さんが見てるアスリートの姿は、キラキラ輝いているように見えると思う。

だけど、トップアスリートとして競技を続けていくのは楽しいことばかりじゃない。

どのアスリートも少なからず、表には出せない苦悩や葛藤を抱えながら、日々競技と向き合ってる。

そして、その苦悩や葛藤がきっかけで、夢や目標を諦めてしまったり、競技を嫌いになってしまう人がいる。

これだけ本気になって競技と向かい合ってきたのに、そんな終わり方はすごく悲しい。

だからこそ、本気で競技と向き合うアスリートの一番近くで、苦悩や葛藤を一緒に乗り越えていける人でいたい。

「一人でも多くのアスリートに、心から競技を楽しんでほしい」

「どんなことがあっても、最後まで競技を好きでいてほしい」

ただそれだけを想って、今日も目の前のアスリートと接してる。

ストーリーが心震えるような感動を生む

これまで多くのアスリートと関わってきて感じたことがある。

それは、アスリートがこれまで積み重ねてきた日々のストーリーがあるからこそ、心震えるような感動が生まれるということ。

確かに、結果だけを見ても感動はあると思う。

だけどそこに、これまでのストーリーが合わさることで、その感動は何倍にもなる。

そして、大きな感動を生むための決まった形のストーリーは存在しないということ。

右肩上がりのストーリーを描くことがすべてじゃない。

上がるときもあれば、下がるときもある。

いろんな形のストーリーがあっていいと思う。

そんなストーリーが、その人のオリジナリティになるのだし、それが心震えるような感動を生む。

どんなできごとにも意味がある

サッカー選手という夢を失い、これまでやってきたことがすべて無意味だと思ってた。

やっとの思いで消防士になれたのに、結局それもうまくいかなかった。

自分のことを何一つ成し遂げられない、みじめで残念なやつだと思ってた。

だけどいまは、本気で競技と向き合うプロアスリートの隣で、夢に向かって一緒に歩かせてもらってる。

多くのアスリートが夢や目標を実現していく姿を見て、ようやく胸を張って自分の人生を生きられるようになってきた。

いまなら、どんなできごとにも意味があると心から思える。

もう一度あのときと同じ経験をできるかっていうとちょっと無理かもしれないけど。

きっとこれからもいろんなことが起こる。

上がったり下がったりの連続だと思う。

だけどその都度、いま起きてることの意味を見出せる人でいたい。

「どんなに苦しい状況だとしても、いつかこのできごとを思い返したとき、あの経験があったからこそ今がある」

そう思えるような生き方をしていきたい。

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