心理的安全性だけでは、チームはつくれない|チームにクレドが必要な理由

スポーツチームづくりの文脈で、心理的安全性という言葉を聞く機会が増えました。
これは、とても良い流れだと思います。

選手が安心して発言できること。
分からないことを分からないと言えること。
うまくいっていないことを隠さず共有できること。
ミスをしたあとに、責められるかもしれないという不安ではなく、
次につながる改善のための対話ができること。

こうした土台があるからこそ、チームは学習できます。
挑戦も増えます。
成長のスピードも上がります。

だから、心理的安全性は必要です。
これは間違いありません。

ただ、現場でチームに関わっていると、同時に強く感じることがあります。
それは、心理的安全性だけでは、チームはつくれないということです。

むしろ、心理的安全性という言葉だけが先に広まると、チームづくりが少し違う方向に進んでしまうことがあります。

なぜなら、話しやすいことと、チームとして前に進めることは、同じではないからです。

心理的安全性が仲良く楽しくと誤解されると、方向性が定まらない

スポーツチームで心理的安全性が語られるとき、選手の受け取り方として起きやすい認識のズレがあります。

それは、心理的安全性を、

みんなで仲良くやること
楽しくやること
厳しいことを言わないこと
空気を悪くしないこと

のように捉えてしまうことです。

もちろん、関係性は大切です。
チームの雰囲気が悪いより、良いほうがいい。
ギスギスしているより、信頼があるほうがいい。

でも、心理的安全性の本質は、ただ仲良くすることではありません。

心理的安全性は、必要なことを言える状態をつくるための土台です。
うまくいっていないことを言える。
改善のための率直なフィードバックができる。
ミスを責めるのではなく、次につながる話ができる。

そのために必要なものです。

だから、心理的安全性を仲良く楽しくやることとして理解してしまうと、チームの対話は浅くなります。

言いやすさはある。
空気も悪くない。
でも、何を基準に修正するのかが曖昧なままになる。

結果として、チームとしての方向性が定まりません。

これは、現場でとても起こりやすいことだと思います。

発言は増えても、対話の質が上がるとは限らない

心理的安全性が高まると、たしかに発言は増えます。
それ自体は良いことです。

ただ、ここで大切なのは、発言量が増えることと、対話の質が上がることは別だということです。

基準がないまま話しやすさだけが高まると、発言はそれぞれの経験や価値観、つまり自分ルールを土台にしたものになりやすい。

自分はこう教わってきた
自分はこのやり方が正しいと思う
自分はそれは甘いと思う
自分はそこまで厳しくしなくていいと思う

どれも本人にとっては自然な感覚です。
だから、発言そのものが悪いわけではありません。

ただ、その土台がバラバラのままだと、会話は増えても、チームとしての質の高い話にはつながりにくい。

たとえば本来、チームとして必要なのは、

このチームは何を大切にするのか
この場面で何を優先するのか
このチームらしい判断は何か
目標達成のために、何にこだわるのか

といった、チームを軸にした上で、個人はどうあるべきかという対話です。

でも、共通の基準がないと、会話はそれぞれの主観のまま並びやすくなります。
すると、チームとしての方向はなかなか定まりません。

つまり、心理的安全性だけでは、発言しやすさはつくれても、対話の質やチームのあり方まではつくりきれないということです。

だから必要になるのがチームクレド

ここで必要になるのが、チームクレドです。

クレドというと、きれいな理念やスローガンのように聞こえるかもしれません。
でも、ここで言いたいクレドは、飾るための言葉ではありません。

チームとして、

何を大切にするか
どんな姿勢で向き合うのか
うまくいかないとき、何に立ち返るか

を言語化した、共通基準です。

心理的安全性が話せる空気をつくるものだとしたら、クレドは何を基準に話すかを定めるものです。

この2つは役割が違います。

心理的安全性があると、話せる。
でも、クレドがないと、話の軸が揃わない。

逆に、クレドがあると、会話の主語が変わります。

私はこう思うだけで終わらず、
このチームのクレドで考えると、ここはどうか
という対話ができるようになる。

この変化は大きいです。

指摘が個人攻撃になりにくくなる。
提案が感情論になりにくくなる。
注意や改善が、誰かの正しさではなく、チームの基準に戻っていく。

クレドは、意見の違いをなくすものではありません。
むしろ、意見の違いがあっても、チームとして前進できるようにするための軸です。

クレドはコーチが作って渡すだけでは機能しにくい

ここで、もう一つ大事なことがあります。

それは、クレドの内容だけでなく、クレドをどう作るかです。

スポーツチームでは、コーチやスタッフが方針を言語化して、それを選手に共有する形になりやすいです。
もちろん、指導者が方向性を示すことは必要です。
チームを導く責任もあります。

ただ、クレドをコーチが作って選手に渡すものにしてしまうと、機能しにくくなることがあります。

正しいことは書いてある。
内容も立派。
でも、それが選手にとっては与えられたルールになってしまう。

そうなると、守る理由が言われたからになりやすい。
現場で使う言葉ではなく、知っている言葉で終わりやすい。
壁に貼られているけど、試合中や練習中には出てこない。

これは、すごくもったいないです。

クレドは、配布物ではなく、チームで共有して育てていく基準だからです。

選手もクレドづくりに参加することに意味がある

だからこそ、クレドづくりには選手も参加したほうがいい。
ここが、とても重要だと思っています。

どんなチームでありたいのか。
このチームは、何で崩れやすいのか。
苦しい場面で、何を基準に立て直すのか。
目標達成のために、日々どんな姿勢を大切にするのか。

こうした問いに対して、コーチだけで言葉を決めるのではなく、選手も一緒に考える。
このプロセスそのものに、大きな価値があります。

なぜなら、クレドは正しい言葉を作ることが目的ではないからです。
自分たちの基準を、自分たちで言語化することに意味があるからです。

ここには、心理学的にも大事な要素があります。
人は、外から与えられたものより、自分で関わって決めたもののほうが、行動に移しやすくなります。

いわゆる自己決定の感覚です。

やらされているではなく、
自分たちで決めた。
この感覚があると、同じ内容でも選手の競技への向き合い方がまるで違ってきます。

コーチが決めたクレドは、守るものになりやすい。
選手も参加して作ったクレドは、使うものになりやすい。

この差は大きいです。

クレドづくりは参加者の設計も重要

クレドづくりでもう一つ大切なのは、誰と作るかです。

コーチ陣と選手だけで進めると、どうしても立場ごとの前提や価値観に引っ張られやすくなります。
もちろん、それ自体は自然なことです。
ただ、クレドはチーム全体の共通基準だからこそ、どちらか一方の感覚に寄りすぎない設計が大切になります。

その意味で、中立的な立場で対話を整理できる第三者が入ることには価値があります。

第三者が入ることで、誰かの正しさを通す場ではなく、チームとしての基準を言語化する場になりやすい。
また、立場の強さに引っ張られにくくなり、言葉の解像度も上げやすくなります。

クレドは、良い言葉をつくる作業ではなく、チームの対話と判断の基準を整える作業です。
だからこそ、内容だけでなく、対話の設計そのものが重要になります。

自分たちで決めた基準があると、選手同士の声かけが変わる

クレドが機能しているチームは、実際のコミュニケーションが変わっていきます。

たとえば、試合中に流れが悪くなったとき。
ミスが続いて空気が重くなったとき。
練習の強度が落ちてきたとき。

そういう場面で、コーチだけが修正するのではなく、選手同士で

今のは、このチームのクレドに合ってるか
自分たちのクレドに相応しい選択とは
この場面こそ、決めたことをやろう

という声が出るようになります。

これは、単に声かけが増えたという話ではありません。
対話の質が変わったということです。

ただ思ったことを言っているのではなく、チームの基準に照らして話している。
だから、選手同士のコミュニケーションがチームの成長につながっていく。

心理的安全性だけでは、この状態は生まれにくい。
なぜなら、話しやすいだけでは、何を軸に話せばいいかが決まっていないからです。

クレドがあることで、チームには立ち返る場所ができます。
苦しいときほど、その価値は大きくなります。

クレドはきれいな言葉より、現場で使える言葉でつくる

クレドづくりで気をつけたいのは、立派な言葉を並べることが目的にならないことです。

挑戦
尊重
規律
信頼

こうした言葉は大事です。
でも、抽象語のままだと、現場で解釈が割れます。

たとえば尊重ひとつ取っても、

強く言わないことだと捉える選手
言うべきことを言うことも尊重だと捉える選手
相手の役割を理解することだと捉える選手

と、人によって意味が変わります。

これでは、せっかくクレドを作っても、また自分ルールに戻ってしまう。

だから、クレドは抽象語で終わらせず、行動レベルまで落とすことが大切です。

たとえば、

・尊重
→ミスを責めない、改善点は具体的に伝える

・挑戦
→失敗しないことではなく、意図のあるプレーを選ぶ

・準備
→練習前に今日の目的を言葉にする

・切り替え
→ミスのあと最初の1プレーに集中する

こうして行動に落とし込めると、クレドは一気に使えるものになります。

クレドは、ブランディングのための言葉ではありません。
試合中、練習中、ミーティングで使える、判断と対話の基準です。

強いチームは、安心と基準の両方を持っている

私は、心理的安全性を否定したいわけではありません。
むしろ、スポーツチームにこそ必要だと思っています。

安心して本音を出せること。
分からないと言えること。
ミスを共有できること。
挑戦を笑われないこと。

それは、成長するチームの土台です。

ただ、土台だけでは、チームはつくれません。

必要なのは、もう一つ。
チームとして何を大切にし、何を基準に判断するかという共通基準です。
それがクレドです。

そして、そのクレドは、コーチが一方的に作って渡すより、選手も参加して一緒に言葉にしたほうが、現場で機能しやすい。

自分たちで考えて決めた基準だからこそ、苦しい場面でも使える。
迷ったときに戻れる。
対話が、ただ思っていることの交換ではなく、チームを前進させるものになる。

強いチームは、厳しいチームでも、ただ優しいチームでもありません。
安心して話せて、同じ基準で前に進めるチームです。

心理的安全性は、チームの空気をつくる。
クレドは、チームの方向を定める。

この2つがそろって、はじめてチームのコミュニケーションは、話せるから積み上がるへ変わっていきます。

チームをつくるとは、ただ雰囲気を良くすることではありません。
対話の質と判断の質を、チームとして育てていくことです。

そのために必要なのは、心理的安全性かクレドかではなく、心理的安全性とクレドをどう機能させるかだと思います。

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スポーツメンタルコーチ加藤優輝
Deportare Design代表
Deportare Design代表。6歳から22歳までプロサッカー選手を目指していたが、燃え尽き症候群により競技を嫌いになり、プロになれずに現役引退。 その後、人命に関わる仕事に魅力を感じ、消防士になる。 消防士として社会貢献していく中で、夢や目標に向かっている人をサポートしたいという思いが沸き起こり消防を退職。 退職後、自分自身が燃え尽き症候群になってしまった原因を解明すべく、脳と心の仕組み・スポーツ科学、EQなどについて学ぶ。 その後、サッカー元日本代表でもあるカレンロバートの専属サポート。現在は、プロ野球選手(NPB)やプロサッカー選手(Jリーグ)、プロゴルファー(JLPGA)、プロサーファー(WSL)、実業団選手(日本代表)を始めとする、トップアスリートから本気でプロを目指すアスリートを中心にサポートをしている。福岡を中心に九州全域から首都圏で活動中。

私がスポーツメンタルコーチになった理由

私はプロサッカー選手になるはずだった。小学校のころから夢はサッカー選手。中学生になっても高校生になっても大学生になっても、夢は変わらずサッカー選手。そんな私は、身長170㎝でゴールキーパーをしていた…>>続きはこちらから

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