やめたのか、やり切ったのか|引退を後悔しないために知っておいてほしいこと

「引退します」

この言葉を口にするとき、人の中に何があるかは、外からは見えません。

でも、その言葉の裏側にある感情は、人によってまったく違います。
やめた事実は同じでも、その人の内側にあるものは、全然別物です。

今日はその話をしたいと思います。

節目は何度もやってくる

競技を続けていくかどうか、悩む瞬間は一度きりではありません。

学生時代、プロを本気で目指すのか、競技はここで終わりにするのか。
プロを目指してまだ続けるのか、それとも現実を見て方向転換するのか。
プロになってから、来シーズンも続けるのかどうか。
チームから戦力外通告を受けて、それでも自分を必要としてくれるチームを探すのかどうか。

年齢という壁もあります。
怪我という壁もあります。
お金という現実もあります。

競技人生のなかで、節目は何度も何度もやってきます。
そのたびに、自分と向き合わなければならない。

そして、そのたびに問われるのが、ひとつの問いです。

「自分はこの競技を本当にやり切ったのか。」

外からの圧力でやめた「引退」は、後悔を生むことがある

やめる理由が「外側」にあるとき、人は後悔しやすい傾向があります。

監督に必要とされなくなったから。
周りのレベルについていけなくなったから。
お金が続かないから。
怪我が治らないから。
なんとなく、続けていく気力が湧かなくなったから。

もちろん、これらは現実として向き合わなければならない事情です。
軽く見ているわけではありません。

でも、そういった「外からの圧力」によってやめることを選んだとき、
人の心の中には何かが残ります。

「あのとき、もっとやれていれば。」
「もう少し続けていたら、どうなっていただろう。」
「あの選択は、本当に自分が決めたことだったのか。」

この声は、やめた直後にはやってきません。
むしろ、やめた直後は解放感があることの方が多い。

でも数年後、ふとした瞬間に、じわりと湧き上がってきます。

テレビで昔のチームメイトが活躍しているのを見たとき。
後輩が夢に向かって走っているのを知ったとき。
夜、ひとりでいるとき。

そのときに初めて気づきます。
自分の中に、まだ「やり切っていない何か」が残っていたことに。

やり切って選んだ「引退」は、次に続いていく

一方で、「内側からやり切った」と感じてやめた人の話を聞くと、何かが違います。

競技をやめることへの寂しさはある。
長年続けてきたものを手放すのですから、それは当然です。

でも、その人の目に、後悔がない。

「やれることは全部やった。」
「悔いはない。」
「競技が自分に与えてくれたものを、今度は別の形で生かしたい。」

そういう言葉が、自然と出てきます。

完全燃焼できた人は、競技が終わっても競技を憎みません。
むしろ感謝している。
そして、競技で得たものが次の人生の土台になっていきます。

やめるという選択の見た目は同じでも、
前者は過去を引きずり、後者は未来を向いています。

「引退」という言葉の重さは、誰にとっても同じですが、その中身はまるで違うのです。

私はやり切れなかった

ここで少し、私の話をさせてください。

私はサッカーを燃え尽き症候群になって競技を引退しました。
プロを目指していたけれど、諦めてしまったのです。
やめたとき、「やり切った」という気持ちは、1ミリもありませんでした。

最後の方は、サッカーが嫌いになっていました。
グラウンドに行くのがつらかった。
ボールを蹴ることさえ、楽しいと思えなかった。

だから「やめる」という選択は、ある意味で必然だったのかもしれません。

でも、それから数年後。
気づいたら、ずっとあの頃のことを考えていました。

「あのまま続けていたら、どうなっていたんだろう。」
「あのとき、もっと違うやり方があったんじゃないか。」
「諦めたのは、本当に自分の意志だったのか。」

その後悔が、今の自分をつくりました。
スポーツメンタルコーチとしてアスリートをサポートするようになったのも、
あの後悔があったからです。

自分がやり切れなかったからこそ、やり切れる選手を増やしたい。
やり切ったと言える引退を、一人でも多くの選手に経験してほしい。

そう思って、今この仕事をしています。

「やり切った」は勝敗や結果のことではない

ひとつ、誤解してほしくないことがあります。

「やり切った」というのは、「結果を出した」ということではありません。

プロになれたかどうかではない。
レギュラーを取れたかどうかではない。
チームが優勝したかどうかではない。

自分がやれることを、全力でやり続けたか。
後悔しないための選択を、そのつど自分でしてきたか。
競技と、ちゃんと向き合い続けてきたか。

それが「やり切った」の正体だと、私は思っています。

だから、プロになれなくてもやり切れる人はいます。
逆に、プロになっても「やり切った」と思えない人もいます。

やり切れたかどうかは、外側の結果ではなく、内側の感覚です。

やり切っていないのに引退を選ぶと何が起きるか

冒頭でも話したように、外からの圧力に流される形でやめると、後悔がやってきます。

しかも、その後悔は、やめた直後ではなく、数年後にやってきます。
タイムラグがあるぶん、気づいたときには「あのとき、もっとやれていれば」という感情だけが残っています。

何かをきっかけに、突然その感情が湧いてくる。
それが10年後、20年後になることもあります。

私はメンタルコーチとして多くのアスリートに関わってきましたが、
やり切れなかった引退をした選手が、その後の人生のどこかで必ずあの問いに向き合う瞬間を、何度も目にしてきました。

やめることは、間違いではありません。
でも、やり切っていないのにやめることは、未来の自分に宿題を残すことになります。

競技を続けようか悩んでいるアスリートへ

もしあなたが今、競技を続けるかどうかを悩んでいるなら、
一度だけ、自分に問いかけてみてください。

「自分はこの競技をやり切れたのか?」

この問いに「まだやり切っていない」と感じるなら、その感覚を大事にしてください。
続けることへの怖さや不安があったとしても、やり切っていないという感覚は正直です。
その感覚に従って、もう一度だけ前に進んでみてください。

逆に、「もうやり切った」「完全燃焼できた」と心の底から思えるなら、その感覚を信じていいのだと思います。
やめることは逃げではありません。
やり切ったうえで次のステージに向かうことは、誰に対しても胸を張れる選択です。

問題は、「やり切っていないのにやめること」です。
外からの圧力や、周りの目や、なんとなくの疲れに流されてやめることです。

そういうやめ方をしたとき、人は数年後に必ずあの問いに向き合います。
「あのとき、やり切れていたら。」

その後悔の重さを、私は自分自身の経験から知っています。

やり切ることが次の人生をつくる

競技が終わっても、人生は続きます。
むしろ競技が終わってからのほうが、人生は長い。

やり切って終えた競技は、次の人生の財産になります。
「あのとき最後までやり抜いた自分がいた」という事実は、
どんな局面でも自分を支える力になります。

やり切れないまま終えた競技は、どこかで足かせになることがある。
これは経験者として、正直にお伝えしたいことです。

だからこそ、今この瞬間に問いかけてほしいのです。

自分は、やり切ったのか。
やり切れる可能性を、まだ諦めていないか。
競技に本気で向き合い切ったと言えるか。

引退するかどうかの判断は、その問いへの答えが出てからでも遅くはないはずです。

やめたのか、やり切ったのか。

見た目は同じでも、中身はまるで違う。

その違いが、きっとあなたの次の人生を、大きく変えていきます。

あなたが、やり切ったと言える瞬間を迎えられることを、心から願っています。

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スポーツメンタルコーチ加藤優輝
Deportare Design代表
Deportare Design代表。埼玉県川口市出身。6歳から22歳までプロサッカー選手を目指していたが、燃え尽き症候群により競技を嫌いになり、プロになれずに現役引退。 その後、人命に関わる仕事に魅力を感じ、消防士になる。 消防士として社会貢献していく中で、夢や目標に向かっている人をサポートしたいという思いが沸き起こり消防を退職。 退職後、自分自身が燃え尽き症候群になってしまった原因を解明すべく、脳と心の仕組み・スポーツ科学、EQなどについて学ぶ。 その後、サッカー元日本代表でもあるカレンロバートの専属サポート。現在は、プロ野球選手(NPB)やプロサッカー選手(Jリーグ)、プロゴルファー(JLPGA)、プロサーファー(WSL)、実業団選手(日本代表)を始めとする、トップアスリートから本気でプロを目指すアスリートを中心にサポートをしている。

私がスポーツメンタルコーチになった理由

私はプロサッカー選手になるはずだった。小学校のころから夢はサッカー選手。中学生になっても高校生になっても大学生になっても、夢は変わらずサッカー選手。そんな私は、身長170㎝でゴールキーパーをしていた…>>続きはこちらから

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