関わり始めて、まだ1ヶ月ちょっとです。
コーチングの回数はたったの2回。
それでも、彼のピッチングは明らかに変わりました。
登板するたびに安定したパフォーマンスを見せ、与えられた機会でしっかりと結果を残しています。
変化はスコアの上だけじゃない。
マウンドに立つ姿そのものが、以前とは違って見えます。
どこか落ち着いていて、自分のリズムで投げている。
そういう雰囲気が出てきました。
「何かが少し噛み合うだけで、人はこんなにも変わるんだな」
この選手を見ていて、あらためてそう感じています。
今回は、この事例をもとに、パフォーマンスに影響を与えた3つの視点をお伝えしたいと思います。
高いレベルで競技と向き合っているあなたにとっても、何かひとつでも持ち帰れるものがあればうれしいです。
コーチングを始める前の状態・「考えすぎ」という落とし穴
この投手が抱えていた悩みのひとつは、「あれこれ意識しすぎてしまう」ということでした。
腕の振り方、体重の乗せ方、リリースのタイミング、フォームのバランス。
自分の投球をより良くしようと、たくさんのことを同時に意識しながらマウンドに立っていた。
努力家で、真面目で、それだけ本気で取り組んでいた証拠でもあります。
でも、その結果はどうだったか。
動きがぎこちなくなり、「しっくりこない」感覚が続いていたといいます。
意識すれば意識するほど、体が思うように動かない。
そういう状態に、長いこと悩んでいたようでした。
何かを改善しようとするたびに、意識することが増えていく。
増えれば増えるほど、体が固まっていく。
高いレベルで競技をしている選手ほど、この罠にはまりやすいように感じます。
真剣に向き合っている人ほど、そうなりやすいとも言えます。
1. 意識をひとつに絞る
この投手とのコーチングでまず取り組んだのは、シンプルなことでした。
「今の登板で、意識することをひとつだけ選ぶとしたら、何にする?」
それだけの問いです。
しかし、この整理が、じわじわと大きな変化につながっていきました。
スポーツ科学の分野に、「注意の焦点」に関する研究があります。
腕の振り方や足の踏み込みといった、自分の体の動きそのものに意識を向けると、かえって動きがぎこちなくなりやすい。
一方で、ボールの軌道やミットのターゲットといった、自分の外側にあるものに意識を向けると、体の動きがスムーズになりやすい。
そういった傾向が複数の研究で確認されています。
なぜそうなるのか。
人間の脳がひとつの動作の中で同時に処理できる情報量には、限りがあります。
複数のことを同時に意識しようとすると、処理が追いつかなくなる。
本来は自然に動けるはずの体が、意識によってかえって邪魔されてしまうんです。
感覚的にわかる気がしませんか。
「これを意識して、あれも気をつけて、でもこっちも……」となった瞬間、体がどこか固まるような感覚。
動いているのに、なんか違う、という感じ。
あれがまさにそういう状態です。
この投手の場合も同じでした。
意識をたったひとつに絞る。
それだけのことでしたが、感覚は変わっていきました。
「考えながら投げている感じが減った」
「体が勝手に動いてくれるようになった」
そんな言葉が出てきたのは、思ったより早いタイミングでした。
うまくいっているときは、あまり考えていないことが多いかと思います。
意識がシンプルなほど、体は伸び伸びと動く。
そのことを、この選手はあらためて取り戻していったように見えます。
2. コントロールできることに向き合う
もうひとつ、この選手が向き合っていた課題がありました。
結果、評価、対戦相手のコンディション、審判のジャッジ。
自分ではどうにもならないことに対して、「なんとかしたい」「自分の思い通りにしたい」という気持ちが強くあったといいます。
その気持ちはよくわかります。
本気で競技に向き合っているからこそ、結果にこだわるし、評価も気になる。
しかし、どれだけ強く願っても、変えられないものは変えられない。
変えられないとわかっていても、なんとかしようとしてしまう。
そこにエネルギーを使い続けることが、じわじわとストレスとして積み重なっていたんだと思います。
心理学に「コントロールの所在」という考え方があります。
自分の力で何かをコントロールできていると感じられるほど、ストレスへの耐性が高くなり、パフォーマンスも安定しやすくなる。
逆に、コントロールできないことに意識が向き続けると、慢性的な不安や焦りが生まれやすくなる。
そういうことが研究でわかっています。
また、スポーツ心理の世界では近年、「コントロールできないことをコントロールしようとすること」そのものが、パフォーマンスの妨げになりうると指摘されています。
コントロールできないことを手放して、今自分ができることに意識とエネルギーを向けていく。
その切り替えが、競技場での安定につながるとされています。
この投手とのセッションでは、「自分がコントロールできることって、何だろう?」という問いを一緒に丁寧に整理しました。
書き出してみると、思ったよりシンプルなリストになります。
何よりそのシンプルさに気づくことが大事で、「じゃあそこだけやればいい」という感覚が腑に落ちていくと、マウンドに立ったときの感覚がまるで変わってくる。
「あとはもう、自分がやれることをやるだけ」
そう思えたとき、人はどこか楽になります。
力みではなく、集中へ。
不安ではなく、準備へ。
この選手にも、そういう変化が起きていったように感じます。
3. 「結果に相応しい選手」を、今から生きる
この3つ目の話が、もしかするとこの事例でいちばん大きな変化を生んだかもしれません。
コーチングの中で、こんな話をしました。
「目指している世界に行ったから、そこにいるような選手になるのではない。行く前から、そこにいるような選手でいることが大事だ」と。
どういうことか。
多くの選手は、「あの舞台に立てたら、あのチームに入れたら、そこで初めて自分は相応しい存在になれる」と考えていることがあります。
目標の先に、「なりたい自分」がいる。でも実際には、逆のことが起きている場合が多いように感じます。
「そこにいる自分」を今この瞬間からどれだけリアルに持てているか。
そのセルフイメージが、日々の行動や習慣を作っていく。
言葉の選び方、練習への向き合い方、立ち振る舞い。
そういった積み重ねが、気づけば本物の変化を生み出していくんです。
心理学者のアルバート・バンデューラは、「自分はできる」という信念(自己効力感)が、実際の行動や結果に大きく影響することを示しました。
自己効力感が高い選手ほど、困難な場面でも粘り強く取り組み、パフォーマンスが安定しやすくなる。
これは多くの研究で繰り返し確認されていることです。
そしてもうひとつ、私たちの行動には「自分はどんな選手か」というセルフイメージに沿って動こうとする性質があります。
「自分はまだそこには行っていないから」というセルフイメージを持ち続けていると、行動もそれに合ったものになっていく。
逆に「自分はすでにそこにいる選手だ」というセルフイメージで日常を過ごしていると、ちょっとした判断や習慣が少しずつ変わっていきます。
この投手は、日常の中での言動や立ち振る舞いを、少しずつ変えていきました。
「まだ行っていないから」ではなく、「もうそこにいる選手として、今日をどう過ごすか」という視点で。
その小さな変化が、マウンドでの姿にも滲み出てきているように感じます。
変化は、いつも小さなところから始まる
関わり始めてまだ日が浅い。
コーチングの回数も2回だけ。
それでも、この選手のパフォーマンスは変わりました。
意識をひとつに絞ること。
コントロールできることだけに向き合うこと。
結果に相応しいセルフイメージを、今から持つこと。
どれも、特別な才能が必要なことではありません。
でも、言葉にするのは簡単でも、実際に自分の中に落とし込んでいくのはそう簡単ではないとも思っています。
この選手が変わったのは、それを知識として得たからではなく、自分の競技と本気で向き合いながら、少しずつ自分のものにしていったからです。
あなたは今、何を意識してプレーしていますか。
コントロールできないことに、どれくらいのエネルギーを使っていますか。
目指している選手像は、「そこに行ってから」のものですか。
それとも、「今この瞬間から」のものですか。
もし、このコラムを読みながら、自分のことが少し頭をよぎったなら、今何かを変えるきっかけになるかもしれません。
このコラムが、あなた自身の競技と向き合うための、ほんの小さなきっかけになれば幸いです。

