競技を始めた頃のことを、少し思い出してみてください。
初めてボールを蹴ったとき、初めてタイムが縮まったとき、初めて試合に出たとき。
そのときの気持ちはどんなものだったでしょうか。
きっとシンプルだったはずです。
楽しかった。
もっとうまくなりたかった。
仲間と一緒に練習することが嬉しかった。
誰かに何かを証明したいとか、認められたいとか、そういった気持ちよりもずっと前に、ただ純粋にその競技が好きだった。
そういった感覚から、多くのアスリートは競技の世界に入ってきます。
でも、年月を重ねていく中で、その気持ちはいつのまにか変わっていくことがあります。
変わった、という自覚があればまだいい。
多くの場合、気づかないままに変わっていく。
そしてある日ふと、「なんでこんなに苦しいんだろう」と感じる瞬間がやってきます。
今日は、そのことについて一緒に考えてみたいと思います。
「認めてもらいたい」が少しずつ中心になっていく
競技のレベルが上がるにつれて、評価される場面が増えていきます。
結果を出せばコーチに褒められる。
メディアに取り上げられる。
SNSに投稿すれば多くの人が反応してくれる。
スポンサーがつく。
周囲から一目置かれる。
そういった経験が積み重なっていくと、少しずつ「誰かから認められること」が、競技に取り組む大きな動機になっていきます。
試合で勝ったとき、記録を更新したとき、SNSのいいねが増えたとき、なんとなく心が満たされる感覚がある。
逆に結果が出なかったとき、誰も反応してくれないとき、なんとなく空虚な気持ちになる。
それ自体は不思議なことではありません。
人は誰しも、認められたいという気持ちを持っています。
その欲求が競技を通じて満たされる経験が続けば、「競技で結果を出す=自分の価値が認められる」という感覚が、知らないうちに自分の中に根を張っていく。
気づけば、承認欲求を満たすための手段として競技が位置づけられるようになっています。
「認められなければ」という苦しさが生まれてくる
承認欲求を競技で満たそうとすると、何が起きるでしょうか。
結果が出れば認められる。
認められれば満たされる。
しかし結果が出なければ、誰も褒めてくれない。
SNSの反応も薄くなる。周囲の態度も変わったように感じる。
そのとき、競技の結果だけでなく、自分自身の価値まで失われたような感覚に陥ってしまいます。
また認めてもらわなければならない。
だからもっと結果を出さなければならない。
でも結果が出なければ、また空虚になる。
この繰り返しの中で、競技に向き合うこと自体が重さを帯びていきます。
本来は楽しさから始まったはずのことが、いつしか「認められなければ意味がない」という切迫感に変わっていく。
毎日練習しているのに、どこか充足感が得られない。
成長している実感はあるのに、空っぽな感じがする。
頑張っているのになぜか苦しい。
そういった感覚に覚えがあるとしたら、その根っこにあるのは、もしかしたらこのことかもしれません。
認められることで気持ちが満たされる経験を重ねるうちに、それなしでは自分を満たすことができなくなっていく。
競技の結果が自分の価値と直結してしまうと、結果が出ない期間は、ただ練習しているだけでは充足感を得ることができない日々になっていきます。
競技者として、それはとても消耗することです。
引退後も同じパターンが繰り返される
競技者としてのキャリアが終わっても、このパターンはなかなか変わりません。
競技を通じて承認欲求を満たすことに慣れてしまった人は、引退後も同じように「誰かから認めてもらえる場所」を求めるようになります。
次のキャリアを選ぶとき、その選択が「自分がやりたいから」ではなく、「認めてもらえそうだから」になっていることがあります。
そうすると、競技時代と同じことが起きます。
結果が伴わなければ満たされない。
注目されなければ自分の存在を感じられない。
また「認めてもらうための行動」が始まっていく。
これは、競技を通じて形成された「承認欲求を満たす回路」がそのまま持ち越されているからです。
競技という舞台がなくなっても、その回路は消えません。
むしろ、競技という承認を得やすかった場所を失ったことで、引退後に強い喪失感や空虚感を抱えるアスリートも少なくありません。
こうした構造にはまってしまうのは、決して珍しいことではありません。
競技の世界に長くいれば、誰でも自然とそうなりやすい環境の中に身を置くことになります。
気づかないうちにその構造の中に入ってしまっているのは、むしろ当然のことかもしれません。
そして多くのアスリートが、それに気づかないまま競技を終えていきます。
承認欲求は悪くない。向け先が問題
ここで、大切にしてほしいことがあります。
承認欲求そのものを消す必要はありません。
誰かに認めてもらいたい、すごいと思われたい、という気持ちは、人間として自然なものです。
その欲求を持つこと自体は、何もおかしくありません。
マズローの欲求5段階説でも、承認欲求は人間の根本的な欲求のひとつとして位置づけられています。
ただ、その欲求を「競技の結果」で満たそうとすることが、苦しさを生み出しています。
結果は、自分だけでコントロールできるものではありません。
相手がいる競技では特にそうです。
どれだけ準備しても、どれだけ練習しても、結果が伴わないことはあります。
そのたびに承認欲求が満たされない状態になってしまうと、気持ちが安定する場所がなくなっていきます。
だからこそ、承認欲求を満たす場所は、もっと近いところにあっていいはずです。
パートナーとの日常の中で。
家族との時間の中で。
結果に関係なく、ただ自分という存在を見てくれている人たちの中で。
「結果を出したから」ではなく「あなたがそこにいるから」という形で、自分を受け入れてもらえる関係の中で。
そういった場所で承認欲求がしっかりと満たされているとき、競技との向き合い方は自然と変わっていきます。
結果が出なくても揺らがない、静かな自己肯定感のようなものが生まれてくるからです。
競技で結果を出して認めてもらう体験は、それはそれで大切なものです。
ただ、それだけが自分の承認欲求を満たす唯一の場所になってしまうと、競技が重くなる。
そうではなく、競技の外の場所でちゃんと満たされているから、競技には純粋に向き合える。
そういう土台があると、アスリートとしての日々はこれまでと違った景色になります。
もう一度最初の気持ちに近づいてみる
では、競技に対してはどんな気持ちで向き合えばいいでしょうか。
特別なことではないかもしれません。
競技を始めたばかりの頃に感じていたシンプルな気持ち、ただ楽しかった、ただもっとうまくなりたかった、その感覚に少し近づいてみることです。
誰かのためではなく、自分がやりたいからやっている。
そういう感覚を取り戻せたとき、競技との関係は少しずつ変わっていきます。
結果が出ても出なくても、昨日よりも成長している自分を、自分自身が感じることができる。
誰かの評価に左右されない、自分の中に根を張った動機がある。
それが、長く競技と向き合い続けるための、静かで力強い原動力になっていくのだと思います。
もちろん、一度形成されたパターンを変えることは、簡単ではありません。
しかし、気づくことが最初の一歩です。
「自分は誰かに認めてもらうために競技をしているのかもしれない」と気づいた瞬間から、何かが少しずつ動き始めます。
あなたはどうして、今の競技を続けているのでしょうか。
その問いと、少しだけ向き合ってみてください。

